2005年

ーーー4/5ーーー 御所平

 
春休みになったら連れて行くと娘に約束していた、日帰りの旅をした。行き先は信州川上村の御所平(ごしょだいら)。自宅からの方角としては、ちょうど八ヶ岳の裏側に当る、千曲川上流域の場所である。

 昨年の夏前だったか、知人に勧められて詩人尾崎喜八のCD詩集を買った。それをテープに録音し、車を走らせながらカーステレオでしょっちゅう聞いた。雨や雪の日に、あるいは部活の都合で、娘を中学校まで送り迎えするときも、よくこの詩集を聞いた。そのうち私も娘も、あらかたの詩を、そらで口にするようになった。その中に「御所平」という詩があった。


「御所平」      尾崎喜八

一里むこうの大深山は
まだ華やかな夕日だが、
山陰はもうさむざむとたそがれた御所平。

四つ割りの薪を腰に巻いて
しめ縄張った門松に雪がちらつく御所平。

海の口への最後のバスが
ラッパ鳴らして空で出て行った御所平。

腕組みしておれを眺める往来の子供たちが
みんな小さい大人のようだった御所平。

楢丸一俵十八銭の手どりと聞いて、
ご大層なルックサックが恥ずかしかった御所平。

それでも東京の正月を棒にふって
よくも来なすったと迎えてくれた御所平。

ああ、こころざしの「千曲錦」の燗ばかりかは、
寒くても暖かだった信州川上の御所平・・・

そのなつかしい御所平を、
あじきない東京の
夜の銀座でぼんやり想う。


 この詩は、尾崎喜八氏の作品としては珍しいと思うのだが、リフレインが使われていて、独特の雰囲気がある。リズム感が良く、耳に馴染み易い。私と娘は、そらで口にするうちに、どちらが正しく記憶しているかを競い合ったりするようになった。そのうちに、これほど関心を引いた詩の題名となった土地へ、行ってみようという話になったのである。

 行き道に富士見町の「高原のミュージアム」に立ち寄った。ここには、富士見町にゆかりの文人たちの資料が展示されている。中でも尾崎喜八氏のコーナーが大きく設けられていた。氏は終戦直後に東京から富士見町へ移り住み、間借り住まいで七年間ほど暮らした。戦争で病んだ氏の魂は、この地の美しい風物に触れて癒された。四季折々の「偉大な自然」の中で生活をするうちに、詩人は復活を遂げたのである。

 ミュージアムの庭には、尾崎喜八氏のこの地への深い思い入れをうかがわせる詩碑が立っていた。

 御所平は、八ヶ岳の広大な裾野の東の外れにあった。三方を山に囲まれた、谷沿いの集落であった。私は以前何度となく、登山の目的でこの辺りに来たことがあるので、おおむね予想どおりの風景であった。しかし娘は、詩から受けた印象と大きく違った場所であるとの感想を述べた。何故娘は、現実とかけ離れたイメージを抱いていたのか。それについて私は問いただしもしなかった。むしろそのように聞いて、わざわざここへ来た甲斐があったという気持ちになった。

 これで私は、尾崎喜八氏の詩の舞台となった場所を五つ訪れたことになる。北八ヶ岳の夏沢峠、美ヶ原溶岩台地、穂高中学校、上高地、そして御所平。

 次は初夏の季節に、杖突峠にでも行ってみようか。



ーーー4/12ーーー 不安のデザイン
 

 写真は、先日東京のH邸へ納入した、ベッドサイド・キャビネットである。ベッドの枕元、つまりヘッドボードと壁の間に置くもので、下部は収納、上部はベッド回りの小物を置く棚になっている。ご夫婦用に二台製作した。

 引き出しはサイドに付いており、上の棚は正面から使うためのものである。つまり直交する二方向からアクセスするキャビネットとなっている。このような性格のキャビネットをムクの材で作るとなると、結構厄介である。単に框組みで作ると、部材の陰に余計な凹凸が出来てしまって、使い勝手にいささかの支障が出ることが懸念された。

 そこで、変則的ではあるが、下部は框組み、上部は板指しの構造とし、それらを合体させることにした。これなら使用感は間違い無く良いだろう。しかし前例のない形なので、製作に入っても、これで良かったのかという不安がぬぐえなかった。デザイン的に珍奇なもの、ゲテモノになってしまったのではないかという不安である。

 このキャビネットの製作が進み、あらかた形が出来上がった頃、懇意にしている工業デザイナーのA氏が工房を訪れた。家具とか木工にはめっぽう詳しく、また辛口の批評をする先生である。私は気が進まなかったが、隠すこともないと思って、「このようなものを作ってみたのですが・・・」とお見せした。そうしたら、私の不安とは裏腹に、先生は評価して下さった。「最近のデンマーク家具のデザインの中に、同じような品物があった。ムクの材を使った家具のあり方として、新しい傾向のようである」と。

 人に言われるまで、自分の作品に自信が持てないというのも、なんとも情けない話である。しかし、正直なところ、重くのしかかっていた肩の荷が下りたような気がした。そして、ご注文主に対する役目が果たせた気がして、安堵した。

 


ーーー4/19ーーー 蔵開きのイベント


 17日の日曜日に、安曇野は池田町の福源酒造で蔵開きのイベントが行なわれた。そのイベントの一環として、安曇野の工芸家の作品展が開催された。この展示会の方の主催者は、女性パワーで安曇野の未来を開く「安曇野スタイル・ネットワーク」。私も椅子など数点を出展させていただいた。

 展示会の会場は、御囲蔵(おかこいぐら)と呼ばれる、江戸時代の大きな蔵を移築・改装した建物。松本藩に納める大量の米を貯蔵するための蔵だったとのことである。

 建物の内部はいくつかの部屋に仕切られている。そのうちの最も大きな部屋を、ギャラリーとして提供している。

                      

 太い梁や柱がむき出しの室内は、雰囲気がある。照明の具合が良く、広さもたっぷりで、ギャラリーとしての機能を十分に果たしていた。

 来場者は予想よりもはるかに多く、盛況であった。イベントとしては成功だったと言えるだろう。お酒だけでなく、プラスαも楽しんでもらえればという主旨は、見事に当ったと思われた。

 私の関心は、展示会もさることながら、お酒もである。始めから飲むつもりで、家内に車で送り迎えをさせた。

 500円で枡を買うと、それで二杯のお酒が飲める。種類もいくつかある中から選ぶことができる。梅や桜の花を眺めながら、暖かい陽光の下での一杯は、また格別の楽しさであった。                                         




ーーー4/26ーーー ミニチュア椅子

 
知り合いの工務店の社長が、建物と手作り家具をセットで施主に提供することを考えている。こだわりを持って建てた家には、それに相応しい家具を入れなければ、画竜点睛を欠くというのが社長の主張。木工家具屋にとっては、まことに有り難い話である。その社長は、以前私のアームチェアCatをお買い上げ下さった。私の家具を気に入って下さっていることが、なによりも心強い。

 家を新築するときに、ふつう施主は建物のことで頭が一杯であり、家具のことまではなかなか気が回らない。また、工務店にとっては、家具のことなど自らの仕事に関係ないし、むしろ、自分の取り分が減ることにもなりかねない。そこを苦心して、家具にまで気を使うというのは、この社長の「家」に対する思い入れであり、また、トータルで満足して戴こうという施主への誠意によるのだと思う。

 その売り込みのための小道具として、椅子のミニチュアを作ってくれないかと頼まれた。現物では持ち歩けないので、せめてミニチュアで雰囲気を伝えたいとのこと。

 新しい椅子を計画するときに、五分の一のミニチュアを作ることはある。しかし、既に製品となっている椅子のミニチュアを、しかも人に見せられるレベルでとなると、私には経験が無かった。実のところ、少々気が重かった。

 それでも、木工家具屋のために売り込みをしてくれるのだから、できる限りの協力はしなければならない。

 いざ取り掛かると、予想以上に面倒な作業であった。サイズは小さくても、構造は実物と同じである。寸法を正確に取らなければならないし、ホゾ加工もしなければならない。実物に使うのと同じような治具(工作補助具)も作らなければならない。どうせ作るのなら、「やっつけ」ではなく、今後も繰り返し作れるようなシステムを確立する方が良いと考えた。今後、お客様への贈呈品として使える可能性もあるからだ。そんなこんなで、けっこう手間と暇がかかった。

 ともかく出来上がった品物がこの写真のもの。SSチェアの五分の一のモデルである。実物はクルミ材だが、このミニチュアは加工性を考えてホオ材を使った。それに着色をして、実物に似たような色にした。

 女性陣はこのようなものが大好きのようである。家内も娘も出来上がったミニチュアを見て、「わー、かわいい」と大はしゃぎであった。

 



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